はじめに|“最強”の正体は「人材マネジメント」にあった
戦国時代、数々の合戦で名を馳せた甲斐の虎・武田信玄。その中でも特に有名なのが「武田の騎馬軍団」です。圧倒的な突撃力と機動性を誇ったこの部隊は、まさに“戦国最強”と呼ばれました。
では、なぜ信玄の軍団はそれほど強かったのでしょうか? 彼が使っていた馬の種類? あるいは剣の技術? 実はその答えは、「組織力」にありました。
武田信玄は、軍団の基礎を整え、人材の配置や育成、役割の分担まで徹底的にこだわることで、少数精鋭の戦術的集団を作り上げていたのです。今回はそんな信玄の“組織づくりの天才ぶり”に焦点を当て、現代ビジネスにも通じるマネジメントの知恵を探っていきます。

騎馬軍団=馬に乗った兵士たちの精鋭集団ではない
まず誤解しやすいのが、「騎馬軍団」とは全員が馬に乗って戦う“騎士団”のようなもの、というイメージです。しかし、戦国時代の「騎馬軍団」は、実際には限られたエリート騎馬武者と、彼らを支える足軽(歩兵)、槍兵、弓兵などからなる混成部隊でした。
その中でも、中心となる“騎馬武者”たちは、単なる武力集団ではありませんでした。信玄は彼らに「戦う役割」だけでなく、「情報伝達」「隊の指揮」「地形の調査」など、多様な役割を担わせていたのです。
つまり、信玄の軍団は“分業制”と“役割分担”が明確な高度なマネジメント体制のもとで運用されていました。ここにこそ、他の戦国大名とは一線を画す、信玄の組織的な強さがあります。
信玄の人材育成術:信頼と実力主義の融合
武田家の人材登用方針には、大きな特徴がありました。それは、「家柄に頼らず、実力で抜擢する」という方針です。
たとえば、信玄に仕えた四天王と呼ばれる名将たち──山県昌景、高坂昌信、内藤昌豊、馬場信春は、いずれも“下級身分”出身です。しかし信玄は、彼らの才覚を見抜き、重要なポジションに登用し、部隊の指揮を託していきました。
特に馬場信春は“沈着冷静な守備の名手”として知られ、川中島や長篠の戦いでは殿(しんがり)=最後尾を任され、味方を安全に撤退させる責任を果たしています。このような信頼と責任の付与は、現代の組織における「適材適所」「ミドルマネジメント育成」にも通じるものです。
信玄は、人をよく見て、早く育てて、大胆に任せるリーダーでした。ここには、現在の人事戦略でも重視される「抜擢のタイミング」と「任せる力」が如実に表れています。

風林火山に学ぶ「機動力」重視の組織運営
信玄の軍旗には、あまりにも有名な4文字が掲げられていました。
「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山」
これは『孫子の兵法』の一節を引用したもので、日本語に訳せばこうなります。
- 疾(はや)きこと風のごとく
- 徐(しず)かなること林のごとく
- 侵掠(しんりゃく)すること火のごとく
- 動かざること山のごとし
この標語は、そのまま信玄の“組織哲学”を表しているとも言えるでしょう。変化の早い場面では「風」のように即応し、安定すべきときは「山」のようにどっしり構える。つまり、状況に応じて変化できる「柔軟性」こそが組織の力だと、信玄は見抜いていたのです。
現代に置き換えれば、これはまさにVUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代に求められる「アジャイル組織」の考え方に近いものです。
「戦略=地形と人心を読む力」
信玄の強さは単に軍事的なものだけではなく、“地形”と“人心”を読む力にもありました。彼は合戦の前に必ず地形を調査し、敵の動きだけでなく、兵たちがどう動けるか、補給はどう届くかなどを細かく把握して戦略を立てていました。
また、兵士の士気にも気を配り、無理に戦を続けず、疲労や不安を抱えた部隊には休養を与えるなど、“人間の感情”に寄り添った戦術を実践していました。
これは、現代の「エンゲージメント経営」「心理的安全性の確保」に通じる考え方です。どれだけ優れた戦略でも、人が動かなければ実行できません。信玄はそのことを深く理解していたからこそ、部下たちからの信頼も厚かったのです。
現代ビジネスへの応用:信玄の組織論から学ぶ3つの教訓
武田信玄の組織づくりから、現代に生かせるヒントを整理してみましょう。
- 現場に即した柔軟な戦術をとれ(アジャイルな意思決定)
状況が常に変化する今、固定的な指示ではなく、現場に即した判断ができるような“考えるチーム”づくりが重要です。 - 人は育てて、任せることで強くなる(ミドル層の強化)
実力を認めて早期登用し、責任あるポジションを与えることが、組織の底力になります。 - 感情・モチベーションも戦力である(エンゲージメント経営)
数字だけでなく、人の感情やチームの空気にも配慮することで、本当の力が引き出されます。
まとめ|信玄の“最強”は人を活かす知恵だった
武田信玄の騎馬軍団が“最強”と称された理由は、単に戦術の巧みさや装備の質ではありませんでした。人を活かす力、信頼して任せる力、そして状況に応じて変化する柔軟さ──そうした“組織の在り方”にこそ、本質的な強さがあったのです。
ぼく「らぼのすけ」は、信玄の軍団に「軍事力以上の戦略力」を見ています。それはまさに、「人と仕組み」で勝つという現代にも通じる組織づくりの王道。
次回は、信玄が実際にどのように“風林火山”を戦場で体現したのか──戦術家としての顔に迫ってみたいと思います!
それでは、また次の“戦国知恵袋”でお会いしましょう!